
茨城県の「土浦全国花火競技大会」、新潟県の「長岡まつり大花火大会」と並び、日本三大花火大会の一つに数えられる「大曲(おおまがり)の花火」。その舞台である秋田県大仙市で、長年培ったデザインとプロモーションのスキルを武器に、新たな街の表情を作り出しているのが、地域おこし協力隊の明石 浩一(あかし こういち)さんです。
下北沢の古着屋から原宿のストリートブランド、そしてソニー・ミュージックアーティスツでのアーティストグッズ制作。25年間にわたり東京のクリエイティブの最前線で活動してきた45歳の彼が、なぜ故郷・秋田への帰還を決め、どのような未来を見据えているのか。その歩みを辿りました。

原宿ストリートからソニーミュージックへ。クリエイティブを貫いた25年
編集部:高校卒業後に上京され、25年間東京で活動されていたそうですね。これまでのキャリアについて教えてください。
明石さん:最初は下北沢の古着屋からスタートしました。その後、原宿のストリートブランドで10年ほど、グラフィックデザインやPRを担当しました。当時は裏原宿ブームの全盛期から衰退期までを肌で感じた激動の時代でしたね。その後、ソニー・ミュージックアーティスツにデザイナーとして入社し、約7年間、アーティストグッズの企画・デザインから製造管理、販売までを一気通貫で手がけてきました。
編集部:ソニー時代は、50組以上のアーティストを抱える多忙な現場だったとか。
明石さん:はい。常に10組ほどのアーティストを担当し、ツアーにも同行しました。単なる「お土産」としてのグッズではなく、アパレル経験を活かした10万円超のレザージャケットなど、ファンが本当に欲しいと思える高品質なアイテムを形にすることに情熱を注いでいました。大量生産のアーティストグッズの世界で、徹底的にクオリティを追求する日々でした。

編集部の所感:
明石さんの経歴は、まさに「プロのクリエイター」そのもの。トレンドの最先端で培われた「売れるものを作る」嗅覚と、製造工程まで熟知した実務能力。この圧倒的なスキルセットが、今、大仙市のプロモーションに新しい風を送り込んでいます。
人生の転機と「故郷への想い」。25年目の節目に選んだ新天地
編集部:順調だった東京での生活を離れ、秋田へ戻ろうと決めたきっかけは何だったのでしょうか。
明石さん:いずれは地元に帰りたいという思いはありましたが、親の体調や自身の環境の変化など、人生のさまざまな節目が重なり、「帰るなら今しかない」と直感したんです。ただ、秋田でクリエイティブな仕事を探しても、なかなか見つからない。そんな時、ネットで見つけたのが大仙市の「シティプロモーション」担当の協力隊募集でした。
編集部:出身の秋田市ではなく、隣の大仙市を選ばれたのですね。
明石さん:大仙市には、日本三大花火として世界に誇る「大曲の花火」があります。子供の頃に見たあの圧倒的な光景は、東京にいてもずっと頭にありました。他県の人からも「秋田といえば花火」と言われる。その強烈な地域資源のPRに、自分のこれまでの経験を活かせるのではないかと考え、迷わず応募しました。

花火を「一生の思い出」に。プロの技術が変える街のイメージ
編集部:協力隊として、具体的にどのようなプロジェクトに取り組まれていますか。
明石さん:まずは市の公式ホームページのリニューアルに携わりました。デザインだけでなく、構成案から掲載内容まで、ユーザー目線で一から見直しました。また、1年目から取り組んでいるのが「メモリアルフォト」プロジェクトです。
明石さん:東京からプロのカメラマンを招き、大曲の花火を背景にウェディング写真や家族写真を撮影する企画です。花火をただ「観る」だけでなく、人生の節目として「記録に残す」体験価値を提案しています。ゆくゆくはふるさと納税の返礼品にするなど、マネタイズの仕組みも整えていきたい。2年目は自ら予算を確保し、本格的な事業化に向けて動いています。
編集部の所感:
予算のない1年目から、自身のネットワークを駆使してプロジェクトを動かした情熱に驚かされます。ソニー時代のキャリアを横に置き、「今の生活の方が自分に合っている」と語る明石さん。無駄な消費を抑え、本当に価値のあるものに時間を使う。そんな豊かな生き方が大仙市で見つかったようです。
伝統と食、そして「人」。大仙市のポテンシャルをビジネスへ
編集部:3年目の集大成、転身後の展望をお聞かせください。
明石さん:大仙市には花火以外にも、6つの酒蔵や無農薬・超減農薬のお米を作るこだわりの農家さんなど、素晴らしい資源が眠っています。これらは一般の流通に乗りにくいからこそ、希少価値がある。こうした地元の逸品を、クリエイティブの力で都市部や世界へ届けるビジネスを検討しています。
明石さん:また、20トンの綱を引く「刈和野の大綱引き」のような衝撃的な伝統行事もあります。移住してすぐに素晴らしい仲間と出会えたことが、この街で商売をしたいという決意に繋がりました。空き家を活用した民泊運営や、地域のプレイヤーを巻き込んだイベントなど、やりたいことは尽きません。

編集後記
東京で25年間、流行の最前線を作り続けてきた明石さん。彼が今、秋田県大仙市の田んぼ道で農家さんと語らい、花火の夜にシャッターを切る姿は、驚くほど自然体です。都会で磨かれたセンスが、地方の伝統と出会うとき、どんな「新しい光」が生まれるのか。大仙市の未来は、これまで以上に明るく輝き始めています。

