
広島県呉市の最南端に位置する倉橋町。万葉集にも詠まれた歴史ある「宝島」に、ひときわ目を引く存在がいます。地域おこし協力隊として活動する田中 ゆうなさんです。東京での不動産会社を経て、現在は海の目の前でハンバーガーショップを経営し、地域のフードロス解決や雇用創出に取り組んでいます。一見華やかな「島ギャル」という肩書きの裏側にある、彼女の真摯な移住ストーリーに迫りました。

東京での焦燥感と、江田島で過ごした運命の1日
編集部:広島市内出身で東京へ就職されたとのことですが、なぜ地域おこし協力隊として島へ戻る決断をされたのでしょうか?
ゆうなさん:広島の都心部で生まれ育ちましたが、一番栄えている場所を見てもどこか満足しきれず、自分の可能性を試したい一心で東京に出たんです。東京では賃貸仲介サービスの会社で、営業や広報、サポートなど様々な部署を経験させていただきました。仕事は楽しかったのですが、将来的な結婚や出産といったライフプランを考えたとき、慌ただしく過ぎていく都会の日常の中で、自分らしく人生を歩んでいけるだろうかと少しずつギャップを感じ始めていました。そんな時、帰省中に友人に連れた行ってもらった江田島(えたじま)で、衝撃を受けました。

編集部:その江田島での1日が、移住への決定打になったのですね。
ゆうなさん:そうなんです! 知り合いが普通に道を歩いていて「やっほー」と挨拶したり、急に「珍しいカニがあるから食べようや」と電話がかかってきたり。初対面なのに家族のように受け入れてくれる島の空気感と、美しい夕日に完全にやられました。それまで島暮らしなんて考えたこともなかったのに、その日のうちに心が決まって。何がしたいかは分からないけど、島で暮らしたい!と思ったんです。
ゆうなさん:でも、勢いだけで後悔したくなかったので、一ヶ月経っても気持ちが変わらなかったら辞めようと決めて、そこから仕事を探しました。ちょうど江田島からほど近い倉橋町で協力隊の募集を見つけ、結果、半年後には移住していました。
都会での雇われとしての時間に限界を感じ、自身のライフプランから逆算して自分らしく生きる場を直感で選び取ったゆうなさん。かつて広島の街中に感じていた物足りなさは、もっと手応えのある人生を創りたいという彼女自身のバイタリティの裏返しでした。江田島での1日をきっかけに、隣接する倉橋町での挑戦を選んだその決断の速さと冷静な自己分析のバランスが、今の成功に繋がっています。
暗黒期を救った、親子ほど年の離れた相棒との出会い
編集部:協力隊に入ってすぐは、意外にも暗黒期があったと伺いました。
ゆうなさん:最初の2ヶ月は本当に悩んでいました。私はじっとしているのが苦手なタイプなのですが、着任当初はまだ地域のことも分からず、役場のデスクで一人、手探りの日々。行政の方からは「何でもしていいよ」と言っていただいていたのですが、いざ具体的に何から手をつければいいのか、その進め方が分からずもどかしさを感じていたんです。
編集部:その状況をどう打破したのでしょうか?
ゆうなさん:もう一人の協力隊として入ってきた「田中さん」の存在が大きかったです。たまたま私と同じ苗字で、年齢も父と同じ(笑)。彼はもともと飲食店を複数店舗運営する飲食店経営の経験が豊富な方で、立ち上げの経験も非常に豊富な方でした。そんなプロの視点を持つ彼にサポートしていただくようになってから、一気に視界が開けました。
農家さんの規格外の柑橘を有効活用するなど、彼に支えられながら3ヶ月目には生搾りジュースのイベントなどで実績を作れるようになりました。それまで一人で抱え込んでいたものが、信頼できるパートナーを得たことで、具体的に形にするスピードが格段に上がったと感じています。

経験豊富な田中さんの視点と、ゆうなさんの行動力。この強力な連携が生まれたことが、倉橋町の地域おこしを加速させました。自分たちで主体的に動き、着実に実績を見せることで、周囲の信頼を一つずつ積み上げていった。これが成功への一番の初動として功を奏しました。
海まで20秒。地元を食べるハンバーガーショップの誕生
編集部:現在は「島ギャル食堂( 倉橋島のハンバーガー屋さん)」をオープンされているそうですね。
ゆうなさん:協力隊3年目の11月にオープンしました。私がオーナーとなり、田中さんにもサポートしてもらっています。場所は海の目の前、歩いて20秒の好立地です。もともとお好み焼き屋だった空き店舗を、自分たちの手でDIYしてリノベーションしました。

編集部:メニューにも島ならではのこだわりがあるのでしょうか。
ゆうなさん:ただのハンバーガー屋ではなく地域の課題解決をコンセプトにしています。例えば、地元の魚を食べる場所が意外と少ないという課題や、農家さんのフードロス問題。今後は近くの加工場を復活させて、イノシシ肉を使ったジビエバーガーも出したいと思っています。実は狩猟免許も取ったんですよ(笑)。

編集部:すごい行動力ですね! お店の反響はいかがですか。
ゆうなさん:ありがたいことに順調です! テレビやラジオ、NHKでも取り上げていただいて、車で2時間半かけて来てくれる方もいます。特に嬉しかったのは、地元の71歳のおばちゃんが働きたいと店に来てくれたこと。島に新しい雇用と活気が生まれているのを感じます。
自由に、のびやかに。自走する自営業の形
編集部:ゆうなさんが起業にこだわった理由はどこにあるのでしょうか。
ゆうなさん:おじいちゃんとおばあちゃんが自営業をしていて、いつも楽しそうに人が集まる場所を作っていたんです。その姿を見て育ったので、私にとって自営業=自由で楽しい場作りというのが自然な価値観でした。今は協力隊の任期終了後の自立のためにITの資格を取ったり、冬場の閑散期は営業時間を絞って効率化したりと、戦略的に動いています。
夏場は海水浴客が非常に多く訪れるエリアなので、ソフトクリームの機械も思い切って導入しました。夏に向けた修行期間として、今はスタッフを育成しながら体制を整えています。
かつて物足りないと感じていた若きエネルギーは、今、自らの店を持ち、人を雇い、地域課題を解決する力へと昇華されました。リスクを取って勝負に出る。その覚悟があるからこそ、地域の人々も彼女を応援したくなるのでしょう。70代のスタッフからメディアまで巻き込む彼女の引力は、地域への深い愛着に基づいています。
編集後記
運がいいと笑うゆうなさんですが、その裏には徹底的な情報収集と、泥臭いDIY、さらにこの島で生きていくという強い意志があります。かつて抱いた漠然とした飢餓感は、この島で自分にしかできない仕事を見つけるための大切な原動力だったのかもしれません。倉橋町の美しい海を背に、彼女が焼くパティの香りは、新しい風となって島中に広がっています。
