「ここで培った力を、今度は地元のために」
長野県松本市でフリーペーパー事業の立ち上げを成功させた篠原翔一氏は、ある日ふと、そう思った。生まれ育った山梨県韮崎市への想い。そして、地方が抱える課題への向き合い方。今回は、LOCAL SHIFT株式会社代表取締役社長・篠原翔一氏に、これまでの歩みとこれからのビジョンを伺った。

韮崎で生まれ育ち、訪問販売の世界へ
篠原氏のキャリアの原点は、19歳から始めた営業の仕事にある。医薬品・健康関連企業の山梨・甲府営業所(山梨県中央市)で営業職として働き始めた。担当エリアは甲府市、市川三郷町、富士川町など、山梨県の南部から西部にかけての広いエリア。車で一軒一軒を回りながら、顔の見える営業を続けた。
「営業の数字はバンバン取れたんです。山梨の営業所では特定の商品でトップになったり、全国300人ほどいる営業の中でも10位以内に入ったこともありました」
しかし、結果を出していたからこそ、次の挑戦を求める気持ちが強くなった。「次のステップに進んでみたいという気持ちが強くなって」──そんな思いから、2年で退職。次の職場は決めずに、ゆっくりと自分の道を探した。

フリーペーパー黎明期、広告業界へ
23歳のとき、篠原氏は当時山梨で勢いを増し始めていた地元のフリーペーパー会社に入社する。2008年、まだスマートフォンも普及しておらず、フリーペーパーという文化自体が山梨に根付き始めたばかりの頃だった。
「最初は『何これ、何この本?』みたいな感覚で受け止められていた時代でした。でも、ちょっと華やかで面白そうだなと思ったんです」
雑誌全盛期にあった当時、広告の反響は今では考えられないほど大きかった。「1回広告を出すと、クーポンを持ったお客さんが100名以上来たお店もあったんです」と篠原氏は振り返る。
松本での6年間──ゼロからの人脈づくり
転機が訪れたのは2017年。長野県松本市にあるフリーペーパー会社が経営難に陥り、同社に支援要請が入った。「やるぞ」と即決し、山梨から松本へ単身赴任。人脈ゼロの土地での挑戦が始まった。
篠原氏が選んだのは、地域に深く入り込む王道のやり方だった。青年会議所(JC)に加入して同世代の経営者たちと繋がり、店舗にも行政にも顔を出し続けた。
「松本にいたのは30代の初め頃で、一番油の乗っていた時期。今振り返ると、山梨より松本のほうがいろんな社長を知っているくらい、深く入り込めました」
信州まつもと空港の仕事を担当するなど、地域に根差した活動を6年間にわたり積み重ねた。

コロナ禍で芽生えた、地元への想い
松本で3年が経った頃、新型コロナウイルスの感染拡大が訪れる。街全体が困難に直面する中、地域のフリーペーパーに携わる立場として、地域の声や情報を届ける役割の大切さを改めて実感した。JCの仲間たちとも「どうやって街を盛り上げるか」を真剣に議論し、様々な活動に取り組んだ。
そんな時、ふと篠原氏の胸に湧き上がったのが、地元・山梨への想いだった。
「松本は本当に好きなんです。でも、このパワーをいつかは地元で活かしたいなと思ったんですよね。山梨に帰りたいよな、って」
その後、新たな経験や学びを得るために別分野での仕事にも挑戦し、そこで得た知見を糧に、篠原氏は地元・山梨で再びキャリアを歩み始めることになる。
旧知の仲間と共に、地元で再出発
山梨に戻った篠原氏が再び手を組んだのが、地元の先輩でもあり、フリーペーパー業界の同志でもある清水氏だった。清水氏が代表を務める「なないろ」と連携しながら、自治体イベントの企画運営など、これまでとは少し違った領域にも踏み出している。
「以前のように雑誌の広告枠を売る仕事は減ってきていて、今は自治体のイベントなど、地域そのものに関わる仕事をさせてもらっています」

LOCAL SHIFT株式会社が描く未来
そして篠原氏は、自らの会社「LOCAL SHIFT株式会社」を立ち上げた。山梨を中心に、松本や長野、ひいては全国の地方の活性化を目指す会社だ。
20年にわたる広告営業の経験、フリーペーパーの立ち上げ、地域コミュニティへの深い関わり──これらすべてが、今の篠原氏の活動の土台となっている。
「山梨で、もっと様々な活動をして、自分のできる範囲で地域を盛り上げていきたい。街の課題に取り組めるのは、すごくいいなと思っています」
地元・韮崎で生まれ育ち、山梨と長野の両方で人脈を築き上げてきた篠原氏の挑戦は、まだ始まったばかりだ。地方が抱える課題に対し、現場感覚を持って向き合えるプレイヤーとして、LOCAL SHIFT株式会社の今後の動きから目が離せない。
