ALL-JAPAN観光立国ファンド キャピタリスト/JTB 菊谷氏に聞く──人をつなぎ、地域をつなぎ、日本と世界をつなぐ挑戦

JTBで店頭営業、ビジネストラベル、大学マーケット、メーカーとの共創事業、新規事業推進を経験し、現在は地域創生ソリューションへ出向している菊谷(きくや)さん。現在はALL-JAPAN観光立国ファンドのキャピタリストとして、観光の発展と地域創生に資するベンチャー投資に向き合っている。

旅の現場でお客様と向き合ってきた経験は、地域に眠る価値を見つけ、事業として育てる仕事にどうつながっているのか。編集部が話を聞いた。

原点は「生命の仕組み」と「旅」

編集部:まずはご出身や、学生時代のことから教えていただけますか。

菊谷さん:出身は愛知県で、大学も愛知県内でした。理学部の生命理学科で、DNAや細胞分裂の仕組みなどを学んでいました。今の仕事とは直接関係のない分野ではありますが、当時はそうした生命の仕組みに強い関心がありました。

JTBを志望するきっかけとなったのは、学生時代の旅行体験です。春休みや夏休みのたびに、40日間ほどヨーロッパを旅していました。旅行は楽しい、世界にはいろいろな場所がある。その実感が、キャリアを考えるうえで大きな影響を与えました。

菊谷さんの原点には、物事の仕組みを見つめる理系的な視点と、旅で世界を広げた実体験があった。

店頭営業で学んだ「目的を聞く」仕事

編集部:旅が好きでJTBに入る、というのは自然な流れにも見えます。実際に現場に立ってみて、どんな発見がありましたか。

菊谷さん:入社後は希望通り、静岡支店で店頭営業を担当しました。パンフレットを広げながらお客様に旅行を提案する仕事です。驚いたのは、行き先を決めずに来店される方が多いことでした。「温泉に行きたい」「ハネムーンに行きたいけれど、どこがいいですか」と。そこで、予算や日数だけでなく、旅先で何をしたいのかを聞いていく。単なる手配ではなく、旅の目的を一緒に見つける仕事でした。

編集部:店頭営業で培われたのは、お客様の本音を聞き、旅の目的を形にする力だったのですね。

一度退職し、ドイツへ。それでも戻った理由

編集部:お客様の旅を提案する立場を経験した後に、今度はご自身がもう一度、旅人として外に出ていく。この流れも菊谷さんらしいですね。一度JTBを離れたのは、どんな思いからだったのでしょうか。

菊谷さん:入社前から、3年ほど働いたらワーキングホリデーでヨーロッパを回りたいと思っていました。ただ仕事が面白く、6年ほど続けました。その後、ドイツを拠点に1年間旅をしましたが、旅先から静岡支店のブログに現地情報を送っていて、会社とのつながりは残っていたんです。帰国後は別業界も見ましたが、比較対象がどうしてもJTBで、改めてとてもやりがいのある会社だと感じ、法人営業として戻ることにしました。

ビジネストラベル、大学、共創事業。広がった「移動」の視点

編集部:戻ってからのキャリアを見ると、個人旅行の窓口から、企業、大学、さらにメーカーとの共創へと対象が広がっています。旅行を売る仕事から、「人や組織の移動をどう設計するか」という仕事に変わっていったようにも見えます。

菊谷さん:最初は企業の出張を支援する部署で、出張手配や精算の効率化、航空会社との企業向けレート設計などを担当しました。その後、大学マーケットで学生や教職員の海外渡航、危機管理の支援にも関わりました。さらにその後は、メーカーとのモビリティ領域の共創事業を担当しました。共創パートナーは移動手段を提供する会社、JTBはお出かけの目的を提案する会社。両者が組み合わさると、新しい価値が生まれると感じました。

コロナ禍を経て、新規事業を生む側へ

編集部:2020年にコロナが広がった当時は、どのような状況だったのでしょうか?

菊谷さん:当時は、人流が一気に止まり、旅行業はキャッシュも止まる構造であるということを、JTBとしても強く認識することになりました。観光や移動に依存しているビジネスだからこそ、環境変化の影響を大きく受ける。その危機感が、会社として新しい事業を生み出していく必要性を強く意識するきっかけになったと捉えています。

そうした流れの中で、私自身も2023年4月にイノベーション戦略推進チームに参画し、社内ベンチャー制度の立ち上げを担当しました。社内から起業したい人を募ったところ、1期目、2期目ともに数十名の応募がありました。アイデア創発だけでなく、ユーザーインタビューや仮説検証、MVP開発、市場投入までプロセスを踏みながら進めていく仕組みになっています。

そして、地域創生ソリューションへ

編集部:現在の役割について教えてください。

菊谷さん:JTB内ではエリアソリューション事業部に移り、地域創生ソリューション株式会社へ出向しています。前職のイノベーション戦略推進チームは、旅行外の新規事業をつくる役割でしたが、現在は観光を軸にエリアを活性化していく仕事に携わっています。

地域創生ソリューションが運営するALL-JAPAN観光立国ファンドでは、観光産業や地域産業を支える事業に投資し、地域を盛り立てていく役割を担っています。

「ALL-JAPAN観光立国ファンド」とは

ALL-JAPAN観光立国ファンドは、「人をつなぎ、地域をつなぎ、日本と世界をつなぐ」を理念に、観光産業の再生と成長を支える民間主導の投資ファンドである。投資対象は、ホテル・旅館などの宿泊施設を中心に、観光まちづくりに資する施設、宿泊施設の所有・運営会社、さらに観光や地域産業の課題解決に取り組むベンチャー企業まで幅広い。2018年に組成された1号ファンドは200.1億円規模で、2023年4月に投資期間を終了。2023年には2号ファンドが114.1億円規模で始動し、JTBも新たに参画したことで、観光・地域事業の知見やネットワークを一段と強化している。

実績面では、古民家再生、道の駅ホテル、既存旅館の改修、大型ホテル開発など、日本各地で多様な投資を実行。青森、釧路、志摩、石垣など2号ファンドでも地域色のある案件が進んでいる。また、観光DX、予約プラットフォーム、地域事業者と旅人のマッチング、食や水産流通のプラットフォームなど、観光を支える周辺領域への投資も特徴だ。

このファンドの意義は、単なる宿泊施設投資にとどまらない点にある。地域に眠る歴史的建物や自然資源を観光資源として再生し、外部資本・専門人材・事業ノウハウを結びつけることで、雇用創出、交流人口の拡大、地場産業の活性化につなげる。観光を入口に地域経済の循環を生み出す取り組みとして、地方創生の実践的なプラットフォームといえる。

ALL-JAPAN 観光立国ファンド オフィシャルサイト
https://kankou-japan.jp

JTBがファンドに参画した意味

編集部:ファンドの全体像を見ると、JTBが加わった意味は、単に資金を出すことだけではなさそうです。JTBは旅行者を知っていて、地域も見ていて、事業者との接点もある。その知見がファンドに入ることで、投資判断や投資後の支援にも厚みが出そうです。

菊谷さん:そうですね。JTBは2号ファンドが立ち上がるタイミングで、会社とファンドの両方に出資し、出向者も派遣しています。JTBには観光事業や地域交流事業で培ってきた知見、経験、ネットワークがあります。そこを活用しながら、観光を軸に地域を盛り上げていくことが求められています。

編集部:観光の現場でお客様と接してきた会社だからこそ、「どんな場所に人が行きたいのか」「何が体験価値になるのか」という視点を持ち込める。そこはファンドにとっても大きな強みですね。

菊谷さん:はい。地域にある資源を、求めているお客様につなげていくことが大切だと思っています。JTBだけでは難しいことも、ベンチャー企業や地域の事業者、投資先の皆さんと一緒に取り組むことで、実現できることが増えていくと感じています。

JTBの参画により、ファンドは「資金」と「観光現場の知見」を接続しやすくなった。地域資源を旅行者の体験価値へ変えていくうえで、JTBのネットワークや顧客理解は重要な役割を担っている。

投資先から見える、観光の広がり

編集部:観光への投資というと、ホテルや旅館のイメージが強い印象があります。

菊谷さん:はい。観光への投資というと宿泊施設が中心に見られがちですが、実際にはそれだけでは地域にお金は回りません。体験、飲食、移動、文化、さらには業務効率化まで含めた“観光の生態系”全体が重要になります。ファンドとしても不動産投資とベンチャー投資の両方を行っていますが、私が担当しているベンチャー投資の領域では、観光や地域創生に資する事業であれば、宿泊施設そのものに限らず幅広く対象としています。例えば、観光事業者の業務効率化を支援するサービスや、地域の体験価値を高める仕組み、さらには地域産業の流通を支える基盤なども重要な投資対象です。そういった取り組みを通じて、観光の定義自体が広がってきていると感じています。

編集部:一見すると観光から少し離れて見える事業でも、地域の事業者が稼げるようになったり、旅行者の満足度が上がったりすれば、観光地全体の価値向上につながりますよね。

菊谷さん:そうですね。観光は裾野が広い産業です。いろいろな要素がつながって成り立っています。だからこそ、ベンチャー企業の技術やサービスが、地域の現場で活きる場面は多いと思います。

観光の投資対象は、宿泊施設だけではない。地域の滞在価値や事業者の収益性を高める技術・サービスも、観光立国を支える重要な領域である。

「量」から「質」へ。地域の宝を必要な人に届ける

編集部:これからの観光のあり方について、どのように変化していくと感じますか?

菊谷さん:一言で言うと、「量」から「質」への転換だと思っています。以前は、いかに多くの人に来てもらうかが大きなテーマでしたが、いまはオーバーツーリズムの課題もあり、来訪の“質”をどう高めるかが問われています。地域に負担をかけず、価値をしっかり感じてくれる方に来てもらい、「また来たい」「関わりたい」と思ってもらうことが重要です。

また、地域には無料や低単価で提供されているものの中にも、本来はもっと価値をつけられる体験が多くあります。食文化や伝統工芸、自然、宿泊体験なども、ただ「見せる」のではなく、ストーリーや対価を設計して届けることで、より価値として伝わっていきます。

日本各地には、宝のような資源がまだたくさん眠っています。ベンチャー企業の皆さんとも連携しながら、そうした地域の価値と、それを求めるお客様をつないでいきたいと考えています。

編集後記

菊谷さんの話を聞いて印象的だったのは、キャリアの出発点である店頭営業と、現在のキャピタリストの仕事が、実は深いところでつながっていることだ。

店頭営業では、お客様がまだ言葉にできていない「どんな旅をしたいのか」を聞き出していた。現在の仕事では、地域がまだ十分に事業化できていない「どんな価値を届けられるのか」を見つめている。対象は個人のお客様から地域、既存企業、ベンチャー企業へと広がったが、根底にあるのは、まだ形になっていない可能性を見つけ、必要な人へ届ける姿勢だと感じた。

地方創生において、観光はとてもわかりやすい入口だ。一方で、観光客数だけを追いかけても、地域が豊かになるとは限らない。大切なのは、地域に眠る価値を磨き、適切な形で届け、地域側にも持続的な収益が残る仕組みをつくること。そのためには、現場を知る人、資金を届ける人、事業をつくる人がつながる必要がある。

ALL-JAPAN観光立国ファンドの取り組みは、まさにその接点にある。菊谷さんのように、旅の現場を知り、新規事業を経験し、今は投資の立場で地域と向き合う人材が増えていくことは、日本の観光と地域創生にとって大きな意味を持つはずだ。