北海道・稚内からフェリーで約1時間40分。日本百名山の一番北に位置する「利尻山」を抱く利尻富士町に、一人の地域おこし協力隊がいます。札幌最大の歓楽街・ススキノでのサービス業を経て、自身のルーツである利尻島へと移住した松前 雅浩(まつまえ まさひろ)さんです。5年間にわたり現場の最前線で磨いた調整力と、離島の資源を掛け合わせ、いま最北の地で新たな価値を生み出そうとしています。

ススキノでの5年間と、都会で見つめ直した「歩むべき道」
編集部:札幌出身で、前職はススキノのサービス業で長く活躍されていたと伺いました。なぜ利尻島への移住を決められたのでしょうか?
松前さん:札幌で生まれ育ち、様々な仕事を経験しましたが、自分にとって最も大きな糧となったのがススキノでの5年間でした。裏方として、運営や現場の調整など多岐にわたる業務に携わってきました。非常に濃密な日々でしたが、将来を見据えたときに、慌ただしく過ぎていく都会の日常を離れ、自分らしく人生を歩める場所を探したいと考えるようになったんです。
編集部:そのタイミングで利尻島が候補に挙がったのは、なぜですか?
松前さん:母が利尻島の出身で、祖母がいまも島に住んでいるというルーツがあったからです。妻と一緒に移住先を探して北海道内を旅行する中で、利尻島を訪れた際に直感的に「ここだ」と感じました。海がない地域で育った妻にとっても、360度どこを見ても美しい海と山に囲まれた利尻の景観は、非常に魅力的に映ったようです。

都会の喧騒の中で培った「現場を円滑に回す力」を武器に、松前さんは静かな島のバイブスの中へと足を踏み入れました。自身のルーツがある場所への「里帰り移住」は、地域の人々との信頼関係を築く上でも、非常にポジティブな選択だったと言えます。
「自由な裁量」を活かし、自らの足で課題を見出す
編集部:利尻富士町の地域おこし協力隊としては、どのような役割を担っているのでしょうか。
松前さん:私のミッションは「観光振興」です。着任当初から「島を盛り上げるために、柔軟な発想で取り組んでほしい」と大きな裁量を任せていただきました。まずは現場を知ることが第一だと考え、観光パンフレットの読み込みからSNSでのトレンド調査、そして自らの足で島中を歩き回り、島のポテンシャルを徹底的に掘り下げることからスタートしました。
編集部:そこで見えてきた課題は何でしたか?
松前さん:利尻島には夏場だけで約10万人もの観光客が訪れますが、圧倒的に「飲食店」が足りていないことです。特に行政からも「飲食関係の受け皿を増やしてほしい」という期待を寄せられていました。
松前さん:そこで、まずは島の特産品を使ったメニュー開発から着手しました。利尻昆布の出汁を効かせたたこ焼きをイベントで販売したり、海の「Sea級グルメ」全国大会に出場するために新商品を開発したり。ススキノの現場で培った「ニーズを形にする力」を活かし、島の人たちと協力しながら試行錯誤を続けています。

離島ならではの壁、そして「加工場」への夢
編集部:現在は任期2年目が終わろうとしていますが、今後の展望を教えてください。
松前さん:任期終了後は、本格的に「食品加工」に取り組みたいと考えています。利尻にはウニ、アワビ、タコなど素晴らしい海産物がありますが、それを島内で加工してお土産として提供できる施設がまだ不足しています。自分でリノベーションした加工場を作り、島外の物産展にも出展できるような体制を整えるのが目標です。
編集部:離島での起業には、特有の難しさもありそうですね。
松前さん:一番の壁は「場所」の確保です。空き家があっても所有者との連絡が難しかったり、資材の運搬費が重なったりと、離島ならではのコストは発生します。ただ、利尻富士町には手厚い創業支援制度もあります。これらを戦略的に活用し、持続可能なビジネスを形にしていきたいです。

サービス業の最前線で「現場のリアル」を見続けてきた松前さんの強みは、その高い適応力と実行力にあります。離島特有の課題を冷静に分析し、公的な支援を使いこなしながら「稼げる地域活性化」を目指す姿には、一人のビジネスマンとしての確かな戦略眼が光ります。
編集後記
ススキノの現場で培った「人を支え、場を活性化させる」経験は、いま、利尻島の未来を創る大きな原動力となっています。31歳という若さで、家族とともに最北の島に根を張る覚悟を決めた松前さん。彼が手掛ける特産品が、利尻の新しいブランドとして全国に羽ばたく日はそう遠くないはずです。
