大規模インフラ設計者が島で仕掛けた「宴」。移住一年目で数十回の集いを催し、最速で島の一員になった男 —— 壱岐島でゲストハウス運営 下條悟士さん|長崎県壱岐市

北海道で育ち、埼玉での大学生活を経て、福岡を拠点に九州全域のインフラを支える橋梁設計の仕事に邁進していた下條悟士(さとし)さん。国家プロジェクトの大規模な設計に携わり、時には深夜まで図面と向き合う日々を7年余り続けてきました。そんなプロフェッショナルなエンジニアが、なぜキャリアを大きく転換し、長崎県の離島・壱岐島へと移住したのでしょうか。

その背景には、教職に就いていた妻の一言と、自身の原点であるバックパッカー時代の記憶がありました。現在は壱岐市の公務に携わり、移住者の就業支援を行う傍ら、島内でも珍しい「何もしないを楽しむ」をコンセプトにしたゲストハウスを自らの手で立ち上げています。安定した生活を離れて島に飛び込んだ経緯と、壱岐で見つけた新しい人生の価値について話を伺いました。

九州のインフラを支える誇りと、家族との未来を模索した日々

編集部: さとしさんはもともと、橋の設計という非常に専門性の高いお仕事をされていたそうですね。まずは、移住を決意されるまでのキャリアについて詳しく教えていただけますか。

さとしさん: 地元は北海道、大学から埼玉に出て、東京で建設コンサルタントに就職し、配属されたのが福岡でした。橋梁の設計、つまり新しく橋を建てるための設計を専門にしていて、九州各地の高速道路や山間部の大きな橋などに携わっていました。国交省や自治体が発注するような国家プロジェクトの大規模な設計が多く、一つの設計に1年以上かけることもあるほどボリュームの大きい仕事でした。やりがいはありましたが、時には深夜まで働くのが当たり前というハードな環境でもありました。

編集部: そこから壱岐島への移住、そしてゲストハウス運営という全く異なる道を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。

さとしさん: ちょうど30歳を過ぎた頃、結婚や将来を考えた時に、この先のキャリアの積み方や家族との時間のバランスをどう描いていくべきか、改めて自分自身に問いかけるようになったんです。転職活動もしましたが、同業種だとどうしても同じような働き方になってしまいます。そんな時、妻から「やれることじゃなくて、本当にやりたいことをやってみたら?」と言われたんです。その一言が目から鱗でした。

移住一年目は「飲み会100回⁉」。自宅を舞台に最速で島に馴染む

編集部: どのように島に馴染んでいったのですか。

さとしさん: 壱岐市の永田触(ながたふれ)という地区にある、200平米ほどある立派な古民家を拠点に選びました。ただ、先輩から「1年目は新しいことはせず、まずは自分たちが島を楽しむことが大切。そうした中で少しずつ島のことが分かっていき、自分ができることが見つかっていくはずだよ。」とアドバイスをいただいたんです。その言葉通り、1年目はとにかく全力で島を楽しみました。そのおかげで多くの方と知り合うことができ、より島を好きになる事ができました。

編集部: 具体的にどのような方法で交流を広げられたのでしょうか。

さとしさん: 7DKという広さを活かして、とにかく自宅で飲み会を開催しまくったんです。冬は鍋や餃子、夏は庭でバーベキュー。回数でいえば一年で数十回、自宅以外の飲み会にも参加しまくったので、飲み会の回数は合計100回近くになるんじゃないかな?最初は知り合いだけでしたが、「今度誰々を連れて行っていい?」と繋がりが広がり、気づけばインスタを見た島の人から「遊びに行っていい?」と連絡が来るまでになりました。

さとしさん: 自分から場を作って楽しむ以外にも、地元の行事や山車(やま)を担ぐ歴史ある祭にも積極的に参加させてもらいました。そこで知り合った方々を自宅の飲み会に誘ったりすることで、最速で島の一員としての関係性を築くことができました。この1年間の「宴」を通じて培った人脈が、今のゲストハウスの土台になっています。

島の人と旅人が混ざり合う、古民家での新しい挑戦

編集部: そうした濃密な時間を経てオープンしたゲストハウス。どのような空間を目指しているのでしょうか。

さとしさん: コンセプトは「何もしないを楽しむ」こと、そして「地域との交流」です。壱岐の暮らしのリアルを味わってもらいたいので、夜は沖縄の「ゆんたく」のように、ゲストも島の人も食材を持ち寄って同じテーブルを囲む文化を大切にしています。僕が何かを教えるのではなく、一緒に飲んで語らう。そんなフラットな交流の場にしていきたいです。

編集部: 実際に事業を始めてみて、手応えはいかがですか。

さとしさん: まだプレオープンして間もないですが、島内の方が「一人の時間が欲しいから」と泊まりに来てくれたり、「ゲストハウスを見に行かせて」と友だちが遊びに来てくれたりと、温かい広がりを感じています。予約サイトからも、これまで直接のご縁がなかった遠方のゲストからの予約が入るようになり、夏に向けて楽しみが増えています。自分が橋の設計という安定を捨てて飛び込んだからこそ、島外の人にも壱岐の豊かさを伝えていきたいですね。

壱岐島を、若者が「戻ってきたい」と思えるチャレンジの舞台に

編集部: 今後の展望を教えてください。

さとしさん: ゲストハウスを軌道に乗せることはもちろんですが、壱岐を「一度外に出ても、いつか戻ってきたい」と若者が思える場所にしたいですね。島には大学がないため、多くの若者が都会へ出ます。しかしその後、壱岐ならチャンスがある、面白い挑戦ができると思えるような仕組みを作っていきたいです。大人も子どももチャレンジを楽しめる島にするための一助になりたいと思っています。

編集後記

九州全域のインフラという大きなものを設計していた下條悟士さんが、今、壱岐島の古民家で一人ひとりのゲストと向き合い、心ほどける居場所を築いています。移住一年目で数十回もの宴を自ら企画し、懐に飛び込んでいったその行動力こそが、伝統ある壱岐のコミュニティを動かす鍵となりました。下條さん夫婦が守る「何もしない贅沢」は、この島を訪れる人々にとって、きっと何よりの癒やしとなるはずです。