石川県かほく市。金沢の北およそ20キロ、日本海に面したこの街の市議会に、女性議員がひとりいる。塚本佐和子さん。2025年の市議会議員選挙で1,727票を集め、15人の当選者のなかでトップに立った。定数15のうち、女性は今も彼女ひとりだ。

敷かれた道を降りて、働くことを選んだ
編集部:まず、塚本さんのご出身から伺えますか。
塚本さん:金沢です。高校は私立の、エスカレーター式の学校でした。当時は大学に行く人もそんなに多くなくて、私もそのまま短大に進むのだろう、という考えでいたんです。親もそうだった。でも学んでいるうちに、この道をそのまま進むだけでいいのかな、と思い始めて。自分にはもっと別の可能性があるんじゃないか、いろんな世界を見て試してみたい、と。そう感じるようになったんです。

編集部:ご家族はどう反応されたのでしょうか。
塚本さん:昭和の時代ですから、「どうせ嫁に行くんだから短大でいいだろう」と。それで親と喧嘩して、「じゃあ行かない」と言って働きました。「お前たちを食わせてやっている」とずっと言われていたので、それなら自立しようと。自分で稼いだお金なら、親も文句を言わないだろうと思ったんです。
編集部:当時、周りに同じような考えの女性はいましたか。
塚本さん:いなかったですね。みんな、お見合いをして、それなりの人と結婚して幸せになる、という感覚でした。当時の女の子は、男性を「三高」で選ぶと言われていた時代です。身長と年収と、高学歴と。でも、その人に頼らないと生きていけない生き方は不自由じゃないですか。もし相手に何かあったらどうするのか。二人で子どもを育てるなら、こちら側が自立していないと成り立たない。今でいう男女共同参画の走りのような考え方を、あの頃から持っていたんだと思います。だったら自分でお金を貯めて、大学を受ければいい。そういう発想でした。
短大に進み、結婚して家庭に入る。それが当たり前とされた時代に、塚本さんは自分で稼いで自分で選ぶ生き方を通した。原点は、この十代の選択にある。
バスガイド時代に見つけた、自分の武器
編集部:議員になる前は、どのようなお仕事をされていたのですか。
塚本さん:バスガイドをやっていたのですが、ありがたいことに指名をたくさんいただき、数年間トップの成績をいただきました。周りの方に言われて初めて、これはきっと授かったギフトなんだろう、大事に使わせてもらおう、と思うようになりました。
人前で話し、相手の心をつかむ。バスガイド時代に気づいたこの武器は、議場での質問や市民との対話など、いまの議員活動の土台になっている。

生活の底から、恩返しへ
編集部:その後の歩みは、平坦ではなかったと伺いました。何があったのでしょうか。
塚本さん:夫と若くして死別したんです。子どもはまだ小さくて、これからどうやって生きていこうかと。働きながら二人の息子を育てる毎日で、経済的にも精神的にも、余裕のない時期が続きました。
編集部:その中で、二人の息子さんを育てられたのですね。
塚本さん:必死でしたね。ただ、苦しい時期に、周りの人にものすごくお世話になったんです。だから、いつか自分はどういう形で恩返しできるだろう、という思考に変わっていきました。
若くして夫と死別し、働きながら二人の息子を育てた。苦しい時期に受けた恩を、今度は自分が返したい。この思いが、のちの議員活動の出発点になっている。
普通の母親から、女性ゼロの議会へ
編集部:議員になるきっかけは何だったのですか。
塚本さん:親戚に政治活動をしていた方がいて、その方から強く勧められたんです。私が向いていることを、分かっていたのかもしれません。普通の母親だし、子どももまだ小さいのに、と思ったのですが、なぜか出ることになってしまって。
編集部:当選された当時、市議会に女性議員はいなかったそうですね。
塚本さん:いなかったんです。2017年当時、全国の市議会で女性議員がゼロだったのは、かほく市と鹿児島県垂水市だけでした。どっちがワーストワンになるか、という状況で、女性誌にも書かれましたよ。
編集部:政党には所属していらっしゃいませんね。
塚本さん:一度は所属してみたのですが、抜けました。党の方針に、自分の魂がこれは違う、と言うことがあるじゃないですか。全部を容認できるわけじゃない。もちろん、集団の力がないと動かせないものもあると思います。でも、私の人生にそれは必要なかった。自分が選びたいように選びたいんです。
周囲の後押しを受けて、一人の母親が女性のいない議会に飛び込んだ。以来、政党に頼らず、自分の判断で動く姿勢を貫いている。
1期目で条例、2期目で通学費
編集部:1期目から条例を成立させたと伺いました。どのように進められたのですか。
塚本さん:手話言語条例です。聴覚障害のある方から「手話は言語なんです」と聞いて、まず自分で手話を習いました。議会質問も手話でやったんです。ケーブルテレビでも中継されますから、全部覚えて臨みました。条例が通ると、市役所の職員も手話を学ぶようになって、市民にも少しずつ広がる。共生の街を進めるきっかけになりました。今は障害者スポーツ協会の会長もさせてもらっていて、挨拶は手話でやります。
編集部:2期目の柱は、高校生の通学費助成だったそうですね。
塚本さん:うちの息子が金沢まで通っていた頃、電車代だけで年間18万円かかったんです。節約のために、駅から校舎まで自転車で通う子もいる。少子化で高校を新設できるわけがない以上、通学費を支えるしかない、と。それで、通学定期券の助成を実現させました。
手話を自ら覚えて議場に立ち、息子の通学経験をもとに通学費の助成を実現させた。暮らしの実感から出発した政策が、一つずつ形になっている。
女性議員がいなかった分野に、手を入れる
編集部:政策は、どのように形にしていくのですか。
塚本さん:起点は、いつも一人の相談です。声を聞いてリサーチに入り、これは明らかにみんなが困っている、と分かったら動く。野良猫の避妊・去勢手術費の助成のときは、ボランティアさんと一緒に地域猫の捕獲作業までやりました。相談者が何を、どう考えて動いているのか、自分の身で確かめる。探偵業だな、と思うことがよくあります。
編集部:取り組む分野に、傾向はありますか。
塚本さん:様々ですが、特に福祉、教育、環境です。これまで女性議員がいなかった分、手つかずだった分野なんです。私は二人の子どもの母親ですから、そこには特に力を入れてきました。通学費の助成も、手話言語条例も、猫の話もそうです。誰かがやらなければ、ずっと後回しにされたままだったと思います。
編集部:政策を通す段階では、どのような工夫をされているのですか。
塚本さん:提案する前に、時間をかけて合意の土台をつくります。やり方は二つあって、一つは市民の声を積み上げて下から上げるやり方、もう一つは市長に直接届けるやり方。両方を組み合わせて、関係する人たちが納得できる状態にしてから提案するんです。実現したときに誰の成果になるかは、こだわりません。政策が通って、市民の暮らしが変わることが一番ですから。
編集部:一人で全部やろうとはされないのですね。
塚本さん:しません。通学費の助成のときも、PTA会長からも声を上げてもらって、市長との意見交換会では子どもたち自身にも要望を語らせました。同時多発で動かすんです。わしがやってやる、ではなく、みんなでやる。だから通した予算は、私一人のものではなく、みんなで取ってきたものだと思っています。

一人の相談から始めて、合意の土台をつくり、みんなの成果として実現させる。女性議員の視点が福祉、教育、環境に届いたことで、後回しにされてきた課題が動き始めた。
個として動く
編集部:女性が一人という環境で、意識してきたことはありますか。
塚本さん:遠慮して黙っていたら、女性議員がいる意味がありません。おかしいと思うことには、はっきり声を上げる。私は、個として動きたいんです。福祉や教育の課題は、待っていても議題に上がってきません。誰かが最初に言い出す必要がある。その役割を引き受けてきたつもりです。
誰かが最初に言い出さなければ、議題にすら上がらない課題がある。その一声を引き受けることが、塚本さんの考える、議会に女性がいる意味なのだろう。
手放さないためではなく
編集部:今後について、どうお考えですか。
塚本さん:今の任期を、とにかく頑張りたい。先のことは、今は考えていません。任期が終わったら、出るか出ないかは、その都度考えます。出ない選択肢もある。
編集部:ずっと続けたい、というわけではないのですか。
塚本さん:この立場を手放したくない、となったら辛いじゃないですか。日頃の活動を見て判断してもらえばいい。伝える力は、選挙のためではなく、目の前の一人のために使いたいんです。
議席を守るためではなく、目の前の一人のために力を使う。そう語る塚本さんの言葉には、最後まで迷いがなかった。

編集後記
進路をめぐって親とぶつかり、バスガイドで自分の武器を知り、生活の底を歩いてから議場に立った。塚本さんの半生をたどると、政策の実績よりも先に、自立を手放さなかった一人の生き方が浮かび上がる。
福祉、教育、環境。塚本さんが動かしてきた政策は、女性議員がいなければ後回しにされたままだったかもしれない分野に集中している。議会に女性が必要な理由を、この人は言葉ではなく実績で示してきた。手話を覚えて議場に立ち、ボランティアと猫を捕まえに行き、成果の名義にはこだわらず政策を通す。任期が終わるたびに続けるかどうかを自分に問い直す姿勢も含めて、この人の政治は、自分が選びたいように選ぶ、という一点で貫かれている。
