今回は、新潟県出雲崎町で地域おこし協力隊として活動する北谷美穂さんに話を聞いた。

長野県の町役場で観光行政に3年携わったのち、2023年12月、出雲崎町の地域おこし協力隊に着任。「まちのよろず屋」というミッションを掲げ、ふるさと納税の推進から空き家対策、地域を支える人材の発掘まで、人口3,700人の町の課題に幅広く向き合ってきた。
行政の中から地域を支えた経験を、今度は行政の外から活かす。任期最終年度を迎えた北谷さんに、これまでの歩みとこれからの展望を聞いた。
言葉と表現への興味から、新潟の大学へ
編集部:まずは、これまでの歩みからお聞かせください。ご出身はどちらですか。
北谷さん:出身は長野県です。大学進学で新潟県に来て、卒業後は一度長野県に戻って町役場で3年働き、そのあと出雲崎町に移住して地域おこし協力隊になりました。
編集部:大学では、どのような分野を学ばれていたのでしょうか。
北谷さん:人文学部のメディア表現文化学という専攻でした。高校生の頃から言葉や表現というものに興味があって、表現文化論を学びたくてそこを選んだんです。大学では、小説などの原作が映画やドラマになったときに、表現方法にどのような違いが生まれて、それが視聴者にどんな影響を与えるのか、というようなことを研究していました。
編集部:高校時代から「表現」というテーマに関心を持ち、それを軸に進路を選ばれていたのですね。実は出雲崎町との接点も、学生時代にあったと伺いました。
北谷さん:そうなんです。出雲崎町の協力隊にはサポート団体が入っているんですが、その団体と大学時代に関わりがあって。地域おこし協力隊という制度自体も、学生の頃に協力隊の方に会ったことがあって知っていました。
学生時代に生まれた地域との縁が、のちのキャリアの伏線になっていく。
「人の思いを形にする手助けをしたい」。町役場の産業観光課で3年
編集部:卒業後は、長野県の下諏訪町役場に就職されています。行政の道を選ばれたのは、どのようなお考えからだったのでしょうか。
北谷さん:もともと「人の思いを形にする手助けをしたい」という軸で就職活動をしていました。その中で、補助金や制度など、行政じゃないとできないこと、行政の立場だからこそできることがあるんじゃないかと考えるようになって。民間も受けてはいたんですが、最終的に行政を選びました。
編集部:数ある自治体の中で、下諏訪町を選ばれた理由はあったのでしょうか。
北谷さん:祖父母が下諏訪に住んでいたんです。私自身の出身は近隣なんですが、引っ越しなどがあった中でも、下諏訪はずっと関わりのあった場所だったので。
編集部:配属は産業観光課だったそうですね。どのような業務を担当されていたのですか。
北谷さん:国定公園内にあるビジターセンターの指定管理に関わる業務や、観光協会の事務局、観光施設の管理、パンフレット制作や近隣市町村と連携した観光振興などです。それから、町の地域おこし協力隊の担当職員もやらせてもらいました。
編集部:協力隊を行政側から支える立場も経験されていたのですね。在任中には、諏訪地方の大きなお祭りもあったと伺いました。
北谷さん:7年に一度の御柱祭ですね。ちょうど私が3年目の2022年が開催の年でした。コロナ禍だったので、いろいろと形を変えながらの実施になりましたが、無事にやり遂げることができました。
行政側から協力隊を支え、コロナ禍の御柱祭をやり遂げる。産業観光課での3年間は、のちの活動の土台となる濃密な時間だった。
「まちのよろず屋」という募集。出雲崎町地域おこし協力隊へ

編集部:御柱祭という大きな節目を経て、出雲崎町の地域おこし協力隊へ。どのような経緯だったのでしょうか。
北谷さん:御柱祭が3年目にあるのは最初から分かっていたので、そこが一つの区切りになるだろうと考えていました。そんなときに、学生時代から関わりのあったサポート団体の方から、出雲崎町が協力隊を募集するという話を聞いたんです。内容を見ると、行政での経験が活かせそうだと感じて、応募を決めました。
編集部:その募集が「まちのよろず屋」というユニークなテーマだったそうですね。どのようなミッションなのでしょうか。
北谷さん:出雲崎町は今、人口が3,700人を切っていて、私が来た頃はぎりぎり4,000人いたんですが、毎年100人ほどのペースで減っています。人口が減ると役場の職員も少なくなりますが、住民の中でできないことは全部役場に回ってくる。でも役場も手が回らない。保険や道路、水道といった「絶対にやらなければいけない仕事」はやれても、PRや移住施策、観光といった「攻めの業務」に手が回らなくなってしまうんです。
編集部:守りの業務で精一杯になり、町の未来をつくる仕事が後回しになってしまう。人口減少が進む自治体に共通する課題ですね。
北谷さん:そこで、行政だけではなく、住民と行政が一緒にやっていけるような仕組みづくりをすること。そしてもう一つは、今後そういった町を支えていく人材の発掘・育成をすること。この二つが「まちのよろず屋」の柱として掲げられていました。
ふるさと納税を自前で運営する。1年目の挑戦

編集部:実際に着任されてから、最初はどのような業務から始められたのですか。
北谷さん:最初はふるさと納税からでした。所属は総務課なんですが、その中で一番手をつけられていなくて、やってほしいと言われたのがふるさと納税だったんです。町としても力を入れていく方針になったこともあって、1年目はふるさと納税をメインで担当しました。
編集部:ふるさと納税というと、中間事業者に運営を委託する自治体が多い印象です。出雲崎町はどのような体制なのでしょうか。
北谷さん:出雲崎町は中間事業者を入れていないんです。寄付を受け付けた方への事務処理や書類の発送、事業者さんを回って新しい返礼品を発掘してホームページに登録する仕事、そのための画像づくりまで、基本的には全部自分たちでやっています。アドバイザーとして助言をいただいている会社はありますが、あくまで運営は自前です。
編集部:事務処理から事業者の開拓、デザイン制作まで一手に担われているのですね。成果はいかがでしたか。
北谷さん:おかげさまで、寄付額は着任前から大きく伸びました。新潟県はお米の産地なので、お米人気の追い風もありましたが、それを抜きにしても着実に伸ばせる体制ができてきたと感じています。
地域の事業者と直接顔を合わせ、返礼品を一つひとつ掘り起こしていく。小さな町だからこそできる、顔の見えるふるさと納税の運営が実を結びつつある。
仕組みづくりから、人材の発掘へ

編集部:2年目以降は、どのような活動に取り組まれたのでしょうか。
北谷さん:2年目は空き家関係の業務なども加わって、ミッションの一つである「組織化・仕組みづくり」をメインに動いていました。やっていく中で見えてきたのは、仕組みづくりは外部のプロの方々とうまくつながれば、ある程度形にできそうだということです。この分野ならこの会社さん、この団体さんと一緒にやればできそうだ、というのが見えてきました。
編集部:外部の専門家と町をつなぐ回路ができてきた。すると残るは、もう一つの柱である人材ですね。
北谷さん:はい。最終年度は「町を支える人材」の方に手をつけていきたいと考えています。ただ、育成というより、まずは発掘なんです。町に人はいると思うんですよ。でも、みんな自分のやりたいことやできることに気づいていなかったり、表に出せていなかったりする。だから「人材がいない」と言われてしまうのが今の出雲崎町なので、それをうまく気づかせて、引き出して、活躍できるような場をつくりたいと思っています。
編集部:「人がいない」のではなく「人が見えていない」。その視点の転換が、人口3,700人の町の可能性を広げていくのですね。
北谷さん:やろうと思えばできる人はたくさんいるはずなんです。事業承継の担い手不足にしても、新しい組織の働き手にしても、足りないのは人そのものではなくて、人と機会の出会いだと思っています。
海と山、漁師町と農村。出雲崎町の暮らし
編集部:移住して暮らしてみて感じる、出雲崎町の魅力についてもお聞かせください。
北谷さん:よく皆さん「人が優しい」と言うんですが、もう少し掘り下げると面白くて。出雲崎町はもともと漁師の町と農村部が合併してできた町なので、海側と山側で気質が違うんです。漁師町の方は最初はちょっと壁があるというか、よそ者にすぐには心を開かない部分もあるんですが、一度懐に入ると、味方になってくれる人がとても多い。そんな温かさがあります。
編集部:歴史の中で育まれた気質の違いも、町の個性なのですね。生活の利便性についてはいかがですか。
北谷さん:新潟県で2番目に人口の多い長岡市まで、車で30〜40分ほどです。車があれば、長岡で働いて、夜は静かな出雲崎で暮らすということもできます。海もあって山もあって、漁港もあって、お米も野菜もつくっている。コンパクトな町ですが、いろいろなものが揃っているんです。

編集部:もともと、出雲崎町とはご縁があったそうですね。
北谷さん:夫が出雲崎の出身なんです。結婚した当時はお互い出雲崎に住んでいたわけではなくて、夫は特に戻るつもりもなかったんですが、私の方から「出雲崎に行こうよ」と誘って移住しました。もともとずっと住むつもりで来ているので、協力隊の任期が終わっても、ここでの暮らしは続いていきます。
任期の先へ。「すべてをつなげる組織」を町に

編集部:任期は残り1年足らずですが、その後の展望についてはどのようにお考えですか。
北谷さん:ふるさと納税の中間支援のような機能を持つ組織が、この町には絶対に必要だと思っています。自分でやるのも一つですし、他の会社さんがやるのであれば、そこに入って一緒にやるのもいい。形にはこだわっていませんが、そういう組織をつくりたいです。
編集部:東京の大手企業が担うのではなく、地域に根ざした組織であることに意味があるのでしょうか。
北谷さん:そう思います。出雲崎の事業者さんと、都市部の事業者さんとでは、動き方が全然違うんです。外から仕組みだけ持ち込んでも、地元の方は動けないし、むしろやる気を失ってしまうかもしれない。町の事情を知っていて、すぐに足を運べることが大事だと思っています。
編集部:人口3,700人の町だからこそ、一つの機能だけでは完結しない、ということもありそうですね。
北谷さん:そうなんです。返礼品をつくる事業者さんが、移住してきた人の就職先になったりと、同じ人がいろいろな方面で関わってくるんです。だから、ふるさと納税だけ、観光だけ、と切り分けるのではなくて、地域商社のような機能も含めて、町のすべてに「つながり」をつなげられるような組織をつくりたいと思っています。
行政の中で3年、行政の外から3年。両方の立場を知る北谷さんが描くのは、住民と行政、町内と町外、人と機会。町のあらゆる結び目になる組織の姿だ。「まちのよろず屋」というミッションは、任期を超えて続いていく。
プロフィール:北谷 美穂(きたたに・みほ)
新潟県出雲崎町在住。長野県出身。新潟県の大学で人文学部メディア表現文化学を専攻し、卒業後は長野県下諏訪町役場に入庁。産業観光課で3年間、ビジターセンターや観光協会に関わる業務、観光振興、地域おこし協力隊の担当などを務め、2022年にはコロナ禍での御柱祭の実施にも携わる。2023年12月、夫の出身地である出雲崎町に移住し、地域おこし協力隊に着任。「まちのよろず屋」をミッションに、ふるさと納税の運営、空き家対策、地域を支える人材の発掘・育成に取り組む。
編集後記
北谷さんの話で印象的だったのは、「人材がいないのではなく、気づいていない、表に出せていないだけ」という言葉だ。人口3,700人の町の課題を「人がいない」と総括するのは簡単だが、北谷さんはその奥にある「人と機会が出会えていない」という本質を見据えている。
行政で3年、協力隊で3年。制度の内側と外側、その両方を歩んできたからこそ、「役場にしかできないこと」と「役場でなくてもできること」の境界線が見えるのだろう。ふるさと納税を自前で運営し、外部のプロと町をつなぎ、次は人材の発掘へ。一つひとつの取り組みが、住民と行政がともに町を支える仕組みという一本の軸でつながっている。
もともと永住するつもりで移り住んだ町で、任期最終年を「その後のための1年」と語る北谷さん。「すべてをつなげる組織」が出雲崎町に生まれる日を、楽しみに待ちたい。
